詩歌の可能性をば。∞(115)西脇順三郎「旅人かへらず」添削過程。

すまんかったなぁ、昨日暴言、暴論を吐き散らしちゃって。


わいはど超極悪非道にして甚だ不人格者どすぇ。


(0^0^0)☆彡



でもこれでもええと思ってんねん。


(0^0^0)



西脇順三郎の詩は「日本語にもなっていない、格助詞の使い方がおかしい」と


長年一般に思われてきたでしょうし、


なんせ日本にモダニズム、ダダイズム、シュルレアリスムを紹介した業績で


そして瀧口修造を始めとして秀逸な後進たちを育んだから、


誰も表立って西脇順三郎を批判せずに、


あるいは?「どうせ文意不明だからどんな言語に訳されてもさっぱし通じないだろーから、


そのうちうやむやにされ、歴史から消えていくだろう」なんて底意もあって


ずーっとっ。。ずーっとっ。。


黙り通してきたんだろうよねぇ。


それは日本人特有の気質でもあるしねぇ。。




(0^0^0)



しかし西脇順三郎を「偉大なる詩人」と讃える声が


21世紀になってもまだ止まないし、


ノーベル賞候補に何度もあがっても英訳が広まらないという事実の謎に


思い当たるどころか、、


西脇詩を絶対視して英訳しようと試みる研究者も出る始末ですよねぇ。




(-_-メ)



‥‥


まっ。☆


ですからほぼ一世紀も続いてきた西脇順三郎神話を


ぶち壊すべく、


昨日のブログ記事で


「旅人かへらず」、「六月の朝」を添削して見せたどすぇ。



(0^0^0)



いかに日本語土壌への掘り下げに失敗し、


詩人は文法の詐術を駆使してイメージ豊かな世界を築き上げるのが天命とはいえ、


西脇詩法が至らないものかを、


異例のことながら、


「旅人かへらず」を一例にとっておらが添削過程を明かして


説明いたしましょう。



19行詩ですね、これは。


まず「旅人は待てよ」に始まって、「浮雲の影に水草ののびる頃」で終わる。


2行目―3行目「このかすかな泉に/舌を濡らす前に」


4行目「考へよ人生の旅人」と読み辿ってみて、


待てよ、なんだって旅人は、と主格的にならなければならないのか、


考へよ人生の旅人って、余計にますます分からなくなる。


「舌を濡らす前に」という詩語でなんか得意がっている振る舞いが


臭くって、


「旅人よ待たれよ
このかすかな泉で
喉をうるほす前に
思いなほせ旅の途次」


と添削した。


「に」という格助詞の繰り返しが単調になるため、


「で」という場所を指す格助詞で変化をつけて、


「考へよ」→「思いなほせ」に変えて調子を整えたわけ。


「人生の旅人」って‥扱いを間違えれば漠然とし過ぎるから


「かすかな泉」に立ち寄ったイメージを強めるように


「旅の途次」と書き換えたわけ。


すると


後に続く6行目‐7行目「汝もまた岩間からしみ出た/水霊にすぎない」は


説明し足りない感がある。


ここで欧州モダニズム詩から何を学んできたのよぉ?と


疑わざるを得ない。


素直に「水霊のかげにすぎない」と書けばいい。


前行の「岩間からしみ出た」の「しみ出た」?弱過ぎるイメージだろぉ、


11行目「花をかざした幻影の人が出る」、


17行目「さう言ふはこの幻影の河童」などの伏線を張るには


ちょろちょろ出て、しみ出たって、なんか弱過ぎるっ!!


そこで大胆に「流れ出る」と書き換えて、


かすかな泉の水にひそむドラマの伏線を効果的に張っておいたわけ。





画像







7行目「この考へる水も永劫には流れない」の「この」という指示代名詞は最悪。


単調になるから、「その」に変えたほうがすっきりする。


また「も」と「には」という助詞はどうかな?


次行「永劫の或時にひからびる」がさっぱり分からず、生きてこない。



「その考へる水は永劫に続かない
永劫とても或時にひからびる」


と書けば


次行「ああかけすが鳴いてやかましい」という飛躍したイメージが


かなり生きてくる。


「時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る」


という平板な表現を


「この泉の中から時々
花をかざした人の幻影がうかぶ」


に変えておいた。


一番困った12行目「永遠の生命を求めるは夢」。


16行目「消え失せんと望むはうつつ」と対句めかしているだろうが、


これまでにも二度も「永劫」という一語を使っているから


永遠という同義語ではますます単調、ダラダラ感になりかねない。


考えに考え抜いた末に


敢えて「不滅」という違う音の一語を選んで、



「不滅の生命を求むるは夢
堰きを知らぬせせらぎに
思ひがさめて遂に
不老不死の断崖より落ちて
永劫が消え失せんとうつつ」


と類語反復に漂う単調さを回避しながら


13行目―14行目「流れ去る生命のせせらぎに/思ひを捨て遂に」


15行目―16行目「永劫の断崖より落ちて/消え失せんと望むはうつつ」


という余りにも弱い詩表現を大胆に書き換えた。



最後の三行。


「さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃」



「さう言ふは」だと、旅人に思い留まらせる幻影、そして人かと思われたのが


河童だったりしてっ!という意外性を打ち出すには


これまた弱い。


「さう言ひしは」と過去形に変えて、


「この」という小うるさい指示代名詞を外し、


「幻影から出た河童」に変えた。


次行にもまたもや「出る」(三度目!!単調さったらありゃしないね。)という動詞が


出たから、


しばらく考えて


「水路を経て」なら水霊から花をかざした人の幻影を経て、しまいに変化の最終相と


なった河童のイメージに説得力を持たせられるし、


「村や町へ‥遊びに来る」の間に差し挟めば


旅人かへらず。対遊びに来るは河童。


という美しい、イメージの対照の妙を


結語「浮雲の影に水草ののびる頃」とともに


鮮明に打ち出せることになる。




画像





(*^_^*)



草野心平などの偉大なる詩人たち、


なんつーかね、


下手な師匠の下手な歌から


「おいらだったら


もっとうまく歌えるわぃ!」と


さんざと学びまくって


すんげえ!偉大なる成果を


日本詩歌にもたらせたわけでしゅねぇ、


なるほどなぁ。


西脇順三郎神話をぶち壊したけどもよっ、


だからといって


焚書坑儒めかした真似をする意図は一向にあらず。


逆に西脇順三郎の詩を


「モダニズムを日本に持ち帰って下手な日本語で歌ったやつ」と


冷めた目で見ていろいろと詩句を学んでみたほうがいいよっ。



(0^0^0)



そんでもって


結論っ。


( ̄^ ̄)☆彡



西脇順三郎の詩なんか


2、3割引きして読んで、


下手な師匠の下手な歌をはるかに上回る歌を歌えるように


後進たちが


めいめい精進してみずから独創的な詩歌づくりに


いそしんできたのが


。。。


いやぁー、


日本詩歌のしたたかな伝統のたくましさよっ。



(0^0^0)



ま、


昨日のブログ記事にアフィリエイトで


西脇順三郎詩集が掲載されてありますぅが、


眉につばをなすりつけながら


彼の詩を読んで


「おれだったらこーゆー歌をもっと上手く歌えるっ!!」と


師匠を越えた詩作に


いそしんでくりゃ。よか。ですね♡


はい、


おしまい。


(*^_^*)






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