詩歌の可能性をば。∞(42)朝鮮語(韓国語)込み現代詩へ。

朝鮮語か、韓国語か、その呼称にまつわる論争は政治色くさくってよ、


ただ祖国語として「朝鮮語」は便宜的な呼称で開き直ればいいとして、


どうやら韓流ファンらしい、おばん詩人が


「サラム」(人)を使って、祖国分断の苦悩を背負いながらも


実のところ


万葉集時代以来「渡来人」として日本文化にこれ以上恩に着られないくらいの


貢献をしてくれた朝鮮半島の民衆たちの後裔としての


在日韓国人(朝鮮人)の心情を案じて、


なかなか面白い詩を書いてくれたッス。




以下に原作を掲げてみやんせ。


(*^_^*)





サラム――東京・枝
川の輝く闇に
      


     河津聖恵



サラム、
それは夜の石を踏む裸足の冷たさ
あさなぎ橋を渡る君は
誰にも知られずふいに靴を脱ぎ捨てた
白色矮星の都市が柔らかく映る
橋の下の黒き流れに 靴は音もなく
古びた国籍のように呑み込まれた
研ぎ澄まされた足裏から君は知る
川から海へ向かう彼方は戦場だ
サラムと非サラムの間で引き裂かれ
傷口からあふれるものが今も
この下を体熱のまま往きすぎる!
サラム、
君の背を見つめる六十年前の祖父達は
いまだ橋を渡れず凍てつく冬の子供だ
引き結んだ唇をかすかに緩め
覚え立ての母国語を再び唱和する
川向こうに今 きみのために輝く闇
明日壊される無人の木造校舎の廊下で
幻の裸足が踊り始める
サラム、サラム、
恐る恐る写真を踏み出す幼い足も
みずからの素足の金属の冷たさ
獣の熱さに やがて激しく誘われ




一読したところ、韻律と表現ともどもよく出来上がっているだろーけど、


おらなりに「待った!」と


物言いをつけたくなりまさァね。


(0^0^0)



おらがひっかかった点は、


第一行目の「サラム」と、


第二行目の「それ」と、第二行目の「冷たさ」が


さ行の音がダブっているし、


第12行目の「この」という指示代名詞の表現が弱いし、


詩人はもと渡来人か、素から日本人か知らへんが、


祖国分断とあげくの戦火を嘆き悲しみ、


在日韓国人(朝鮮人)を微力ながら


励まそうと試みた詩作の意図は多としたくても、


意外とタイトル「サラム――東京・枝 川の輝く闇に」の深意を


詩人自身、もっと汲み取れなかったものか、という望蜀の嘆もあり。



( ̄^ ̄)



なるほど‥


在日外国人って、特に世界でど超有名な都市、トウキョウに


根付く枝として読み取れなくもないわぃ。


祖国は木の幹として、世界各地にちらばった移住民族は端っこの枝と


見れば、単に一民族の運命ですまされない詩想とも


いえるでしょう。


この試みはとってもいい!と言いたいけどね、


もっと練り上げる余地があり。



( ̄^ ̄)



でわw



(0^0^0)





 サラム――東京・枝
 川の輝く闇に
      


    唐井誠二による添削。



サラム、
ひた夜の石を踏む裸足の冷たさがそれ
あさなぎ橋を渡る君は
誰にも知られずふいに靴を脱ぎ捨てた
親と先生にも
白色矮星の下の都市が透明に映る
橋のもとの黒き流れに 靴は悲鳴もあげずに
古びた国籍のように呑み込まれた 川
生の感覚が研ぎ澄まされた足裏から
君は思い知る
川から湾へ 湾から大海は戦場だと
サラムと非サラムの間で引き裂かれ
傷口からあふれるものが この下を
今も体熱のまま往きすぎる! 

サラム、
君の背を見つめる六十年前の祖父達は
いまだ橋の前に佇み凍てつく冬の子供だ
引き結んだ唇をぽっくり開け
覚え立ての母国語をたえず唱和する
川向こうに今 君のために輝く闇
明日壊される無人の木造校舎の廊下で
幻の裸足が踊り始める
サラム、サラム、
恐る恐る写真を踏み出す幼い足も
みずからの素足の冷たさにかじかみ
獣らしき熱さに やがて激しく誘われ
――東京・枝 川の輝く闇に




(0^0^0)




ん‥


大相撲でさえああ国際化して、


「待った!」と物言いつける審判も珍しくありましぇんが、


在日外国人たちがワイワイと


むらがってくる日本文学にも


「待った!」と物言いつける‥って、


ま、言葉レイプマンが必要ではありましぇんかね。



(0^0^0)



以上でした。




画像

"詩歌の可能性をば。∞(42)朝鮮語(韓国語)込み現代詩へ。" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント