今日の日記から‥散文と韻文はどー違うか?見て欲しい。

おらが詩歌添削人(韻文医、詩歌請負人、詩歌鑑定士。。などの呼称が


いっぱいありますけど、


いかんせん、一向に定まらぬのが実情でありまして、ここで留保。)


の凄腕ぶりが


何かと驚き、畏怖、敬慕‥ あげくに嫉妬、拒絶反応、無視などの


両極端の反応を呼んでいるみたいですねっ。


ま、


散文と韻文はどー違うか?


ついさっきまで


書いてきた日記(原則として非公開ですけどね、


大作家・永井荷風(1879年ー1959年)の


日記『断腸亭日乗』(彼の翻訳、小説、谷崎潤一郎の才能を見抜いた慧眼ぶりなどに


深く~深く~尊敬を払っておりますぅ。)が


今なお大人気を博していますよね、


別にあやかっているわけじゃねぇ~けど、


ただ存命中の公開、死後の公開をよくよく考えた大天才と呼ぶべきか。


今みたいに情報流出に踊らされがちな世情を


泉下から見てケッケッケッ!と嘲け笑うのに決まっているでしょうねぇ。)


の一文を


敢えて掲載しておきましょうか。



(-σ-)




「秋深まって、巻雲が空を掃き、ただの禿山であった富士山の冠雪が心なしか、一合ごと下がってきた。そのくせ、日なたが徐々に短くなりながら急峻に暖かい。
 パート勤務はせわしなかった。というのも、半ヶ月も職場が人手不足の状態に追われ、シフト調整でオフ予定日を飛ばしてきた同僚が、人手不足が解消したとたんに働き詰めから休み溜めへと一転したため、その仕事の分量がこっちに回って、余計に働かなくてはならなかったのだ。正社員なみの仕事が。――
 通常(といってもデフレのせいで実働時間削減)より半時間も遅れて、お弁当も遅めに掻きこんで、お買い物をすませてから帰宅したら、通気性の劣悪なわが自宅の室温が、23℃を指していた。
 猛暑日で平然と35℃以上のサウナ風呂さながらの室温を毎日のように指していた日々で、カーテンを閉め切りで遮光につとめてきたのが、今になって、採光の恩恵で部屋が暖まってきて、朝晩の10℃を割れる寒さに電気ストーブで対処しなくてもいい。寒暖差、来月の冬至に向かって日照時間の縮まりゆくのに反比例して、太陽光線の濃度の高まりゆく日なた、などで。
 すでにあれほど邪魔者扱いしてきた太陽光線が、暖房が不用品になるほどに助かるものになってきたことか‥‥ 現に洗濯物を完全干しする時刻がとうに速くなっている。」




そうさね、


俳句、短歌、詩などの韻文を書いておりませんよね。


ただひたすらに日記体で散文をおのが実感のおもむくままに書きながら、


それでも文章の完成度で決して妥協しない姿勢を貫いているでしょう、


文章を見る目がありゃァね。




(-σ-)



画像







上代の韻文と散文
おうふう
佐佐木 隆

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