寒くなってきよったんね‥でもおれの芸術は熱いっ!゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
そろそろ長袖シャツに衣替えしなくっちゃ、怖い新型インフルエンザに
隙を狙われがちなんですもんねぇ。
怖ッ怖ッ。。
(-σ-;)
でも嬉しいね!
全世界的な迷信、としかいいようがない
「詩朗読は詩人の肉声で聴くのが一番だ」ってな
思い込みを摧破(さいは)出来るくらいに大きな成果を
ここまでおさめてきちゃって。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ジョン・ダン(1572年生-1631年没)という、げに怖るべき天才詩人の詩朗読に
かぎって、
40代の最高傑作、鳥のオペレッタ「里子の縁結びの後家」完成直後(2006年)に
かの有名な「蚤」(The Flea)を朗読した動画に
いまだに音楽の助けを借りて後半から室内楽「天候不順の春」の楽章をかぶせた作品以来、
おのが野心的な合唱曲プロジェクトの合い間に
折りをみて、
去年に音楽の助けなしで「日の出」(The Sun Rising)を二度も朗読し、
そして
今年の初め頃に「音楽の助けなしでまるで音楽を聴かせるように詩を朗読する」という命題の
達成点を見た
「責を負うべきこと」(The Undertaking)の朗読に到った軌跡を
動画再生(残念ながら現在どのサイトでも公開されておりません)で
振り返ってみて、
この成果が嬉しくてたまんないくらいですぅ。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
それに比べりゃ、
‥‥
ネットで「詩人の肉声」を検索してごらんよ。
ね!
ひどいかぎりなんだじぇい。
日本語圏のみならず、
英語圏でも
詩人の肉声を再生しようとコンピューター合成音声でアニメ動画を作った作品が
大受けしちゃって~、
トンデモ勘違いを助長しちまってんだぃ。
(ありゃァ、ひどいんだぜ‥
いっそアマチュア朗読者にまかせちまえば?
そのほうが聴きごたえがあんだからね!)
‥‥
かといって、イギリスの名優の朗読は
かなりよい声!そのまんま聴き惚れちゃうくらいだがね、
詩人の無意識領野を照射する言葉の豊かな響きを
掬い取るのに失敗したばかりか、
俳優特有の豊かな表現力が裏目に出て
余分な感情が韻律、リズム、脚韻などを押し潰しちゃって、
今いちの出来栄えに陥ってるんだ。
前者はオリジナルに迫ろうとして、その複製、コピーを繰り返したり、
後者はオリジナルから離れて、そう、音楽史でいえば、
ロマン音楽の解釈が脚色たっぷりにもとの音楽の原像を見えにくくしちまってるのとおんなじなんだ、
よい声の豊かな表現力が解釈の方向性を間違えて、
韻律、リズム、脚韻などから浮かび出てくる詩人の無意識領野の豊かさを
見えにくくしているんだ。
どっちも間違っているわけだね。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
おれ自身の芸術的営為のほうは、
音楽の助けを借りてジョン・ダンの詩を朗読したときから
現在音楽の助けを借りなくても、そう、ジョン・ダンの詩の音楽性を
鮮明に明らかにする朗読に成功するまでの進化ぶりを見れば、
「あかの他人は詩人の無意識領野に照射しやすいものだ」
'A complete stranger easily irradiates the unconscious field of the poet.'
という自説がいかに正しいかが、
そして「詩人の肉声」への誤謬、迷信、過信、迷妄‥などが
詩歌の豊かな世界を歪め、可能性を減らすばかりの傾向が
全世界にいかにはびこっているかが、
いやおうがなく実感されるはずでしょう。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ことばは十人十色に聞こえるでしょ、
単純なことばでも意味が十人十色に受け止められるでしょう。
詩人の肉声とか、
作家の肉声とか、
それは迷信に過ぎないんだ。
あくまでも声はことばの運搬役としての役割を帯びているのに過ぎないから、
何より大切なのは
ことばの豊かな響きを、
「このことばの意味をほかの誰よりもよく知っているんだ、
だってこのことばを書いた私がこう読んでいますから」という詩人と作家の自意識で
削ぎ落としちまって、却って十人十色、皆さんに届かなくなる愚を犯さないか、
ということです。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
当然意味を十人十色に受け止める聴衆に届けるためには、
やはりプロの演出家のご協力を仰がなきゃなんないんだ。
ふだんとは違う声をいろいろとためしてみて、
「分っているつもりでもおれの知らない意味が隠されてるじゃないかな?」と
思いとどまって、
違うアプローチをためしてみたり‥
声の高低、速度、間、
別にプロの俳優のよい声でなくたっていいですよ、
詩人と作家の自意識を減衰させ、
その分だけ十人十色の聴衆に届きやすくなる無意識領野を拡大させていくかが
問われてこそ
朗読技巧の肝要なんですよ!
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ですから、詩人の肉声、作家の肉声などは
もはや邪魔物でしかありません!
真に文学を愛するならば。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
その点でおれのような、声を自由自在、変幻自在に変えられる魔術師の
貢献が想像以上に大きいといえるかも知れませんね。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
おっ‥とっとっと。
ついに秋の夜長で熱い芸術談義になっちゃったんね!
料理の話をしまひょ。
(*^_^*)
昨日今が旬の秋鮭三切れを\390で買ってきてね、
粗塩を振ってしばらく置いてから
焼き網で焼いて‥
昆布だしで炊飯の用意をしますぅ。
油揚げを千切りして入れてあります。
炊飯しちゃいますね。
焼きあがった秋鮭をほぐして、皮を刻んでおきますね。
炊き上がったら、
ほぐした秋鮭の身と刻んだ皮ともども入れて、
そのまんま蒸し上げときます。
三つ葉を買い損なっちゃったんだから、
その代わりに青ねぎを刻んだものを
入れて、かき混ぜます。
(*^_^*)
おいしかったんねぇ~。
秋の味覚、秋鮭の炊き込みご飯。
いいよんねぇ~。
(*^_^*)
隙を狙われがちなんですもんねぇ。
怖ッ怖ッ。。
(-σ-;)
でも嬉しいね!
全世界的な迷信、としかいいようがない
「詩朗読は詩人の肉声で聴くのが一番だ」ってな
思い込みを摧破(さいは)出来るくらいに大きな成果を
ここまでおさめてきちゃって。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ジョン・ダン(1572年生-1631年没)という、げに怖るべき天才詩人の詩朗読に
かぎって、
40代の最高傑作、鳥のオペレッタ「里子の縁結びの後家」完成直後(2006年)に
かの有名な「蚤」(The Flea)を朗読した動画に
いまだに音楽の助けを借りて後半から室内楽「天候不順の春」の楽章をかぶせた作品以来、
おのが野心的な合唱曲プロジェクトの合い間に
折りをみて、
去年に音楽の助けなしで「日の出」(The Sun Rising)を二度も朗読し、
そして
今年の初め頃に「音楽の助けなしでまるで音楽を聴かせるように詩を朗読する」という命題の
達成点を見た
「責を負うべきこと」(The Undertaking)の朗読に到った軌跡を
動画再生(残念ながら現在どのサイトでも公開されておりません)で
振り返ってみて、
この成果が嬉しくてたまんないくらいですぅ。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
それに比べりゃ、
‥‥
ネットで「詩人の肉声」を検索してごらんよ。
ね!
ひどいかぎりなんだじぇい。
日本語圏のみならず、
英語圏でも
詩人の肉声を再生しようとコンピューター合成音声でアニメ動画を作った作品が
大受けしちゃって~、
トンデモ勘違いを助長しちまってんだぃ。
(ありゃァ、ひどいんだぜ‥
いっそアマチュア朗読者にまかせちまえば?
そのほうが聴きごたえがあんだからね!)
‥‥
かといって、イギリスの名優の朗読は
かなりよい声!そのまんま聴き惚れちゃうくらいだがね、
詩人の無意識領野を照射する言葉の豊かな響きを
掬い取るのに失敗したばかりか、
俳優特有の豊かな表現力が裏目に出て
余分な感情が韻律、リズム、脚韻などを押し潰しちゃって、
今いちの出来栄えに陥ってるんだ。
前者はオリジナルに迫ろうとして、その複製、コピーを繰り返したり、
後者はオリジナルから離れて、そう、音楽史でいえば、
ロマン音楽の解釈が脚色たっぷりにもとの音楽の原像を見えにくくしちまってるのとおんなじなんだ、
よい声の豊かな表現力が解釈の方向性を間違えて、
韻律、リズム、脚韻などから浮かび出てくる詩人の無意識領野の豊かさを
見えにくくしているんだ。
どっちも間違っているわけだね。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
おれ自身の芸術的営為のほうは、
音楽の助けを借りてジョン・ダンの詩を朗読したときから
現在音楽の助けを借りなくても、そう、ジョン・ダンの詩の音楽性を
鮮明に明らかにする朗読に成功するまでの進化ぶりを見れば、
「あかの他人は詩人の無意識領野に照射しやすいものだ」
'A complete stranger easily irradiates the unconscious field of the poet.'
という自説がいかに正しいかが、
そして「詩人の肉声」への誤謬、迷信、過信、迷妄‥などが
詩歌の豊かな世界を歪め、可能性を減らすばかりの傾向が
全世界にいかにはびこっているかが、
いやおうがなく実感されるはずでしょう。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ことばは十人十色に聞こえるでしょ、
単純なことばでも意味が十人十色に受け止められるでしょう。
詩人の肉声とか、
作家の肉声とか、
それは迷信に過ぎないんだ。
あくまでも声はことばの運搬役としての役割を帯びているのに過ぎないから、
何より大切なのは
ことばの豊かな響きを、
「このことばの意味をほかの誰よりもよく知っているんだ、
だってこのことばを書いた私がこう読んでいますから」という詩人と作家の自意識で
削ぎ落としちまって、却って十人十色、皆さんに届かなくなる愚を犯さないか、
ということです。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
当然意味を十人十色に受け止める聴衆に届けるためには、
やはりプロの演出家のご協力を仰がなきゃなんないんだ。
ふだんとは違う声をいろいろとためしてみて、
「分っているつもりでもおれの知らない意味が隠されてるじゃないかな?」と
思いとどまって、
違うアプローチをためしてみたり‥
声の高低、速度、間、
別にプロの俳優のよい声でなくたっていいですよ、
詩人と作家の自意識を減衰させ、
その分だけ十人十色の聴衆に届きやすくなる無意識領野を拡大させていくかが
問われてこそ
朗読技巧の肝要なんですよ!
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
ですから、詩人の肉声、作家の肉声などは
もはや邪魔物でしかありません!
真に文学を愛するならば。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
その点でおれのような、声を自由自在、変幻自在に変えられる魔術師の
貢献が想像以上に大きいといえるかも知れませんね。
゜(☆ ̄^ ̄彡)゜
おっ‥とっとっと。
ついに秋の夜長で熱い芸術談義になっちゃったんね!
料理の話をしまひょ。
(*^_^*)
昨日今が旬の秋鮭三切れを\390で買ってきてね、
粗塩を振ってしばらく置いてから
焼き網で焼いて‥
昆布だしで炊飯の用意をしますぅ。
油揚げを千切りして入れてあります。
炊飯しちゃいますね。
焼きあがった秋鮭をほぐして、皮を刻んでおきますね。
炊き上がったら、
ほぐした秋鮭の身と刻んだ皮ともども入れて、
そのまんま蒸し上げときます。
三つ葉を買い損なっちゃったんだから、
その代わりに青ねぎを刻んだものを
入れて、かき混ぜます。
(*^_^*)
おいしかったんねぇ~。
秋の味覚、秋鮭の炊き込みご飯。
いいよんねぇ~。
(*^_^*)
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