私の演技について。‥ちょっとした演技論。

びっくらぁした?

鳥スパイのサスペンスドラマで、「人類最悪の悪役サガワ」に扮して演技したおれっちの動画を見て。
(御覧になっていないお方は、下記のタグを押してよね。ただ心臓の弱いお方は遠慮お願いしますねっ)。

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山を見てアドレナリンが出ちゃ~う阿呆な中年登山家の役:

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金欠で犬のように千円札を口に銜えて歩く男の役:

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おれ、まるで百面相みたいに、顔の筋肉をそれらしい人格に合わせて変えられるんだよ。顔面模写の芸とかモノマネとか、ちょっと違うと思います。

そのボードビリアンの芸と、「俳優」の演技とをはっきりと、決定的に分けるのは、やはり、室町時代に能の祖として活躍された世阿弥の「風姿花伝」で説く、「離見(りけん)の見」にほかなりません。

ひと口で言えば、舞台で演技している自分と、あたかも生きながらにして「幽体離脱」して観客席から演技者の自分を見ているもうひとりの自分、ということです。
つまりさ、そういう境地に立っている演技者の意識は、現代の脳科学ではとうてい説明しえない、信じられないレベルへ飛んじゃって、秒コンマをもっと細かくした速度の単位で声、身体を刻一刻と調整しながらも、演技して行くということなんだ。
すなわち、自分の中に演技者、演出家をいっしょに抱えこみながら演技するってことよ。

能でも歌舞伎でも、現代演劇でも、映画でもほんとうに「離見の見」という境地に立てるのは、よっぽどの才能か、達人でなければなかなかむずかしい。
いわゆる「演劇の神が舞い降りた」舞台になるのは、その「離見の見」が大きいからなんだ。

ですから、おれ、その演技が出来る俳優を、たとえ台詞が分かんなくってもちゃんと見分けられるよ、小さい頃からね。
おれの見染めた俳優は、今そのとおりになってるんだよ。

その境地は、何も演劇だけでなく、音楽でもしかり。
極度の集中力を働かせれば、自分の演奏を客観的に聴いているもうひとりの自分がいる、という具合に、演奏することね。演奏者と指揮者が、自分の中でうまく渡り合えるように。

当該の動画「人類最悪の悪役サガワ」のキャラについては――、制作当時に「鳥インフルエンザよりもっと大きな恐怖を与える存在、人間だけでなく鳥にとっても」と考えて、映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐、「沈黙の羊たち」のレクター博士などを参考にして、詰められるだけ詰めて、脚本で人物造形につとめてきたんですよ。
いきおい、ああいう場面になったわけです。

動画を御覧なさってお分かりのように、ああ長台詞を、舞台とは違う映像で演じられる、難役中の難役を演じられる俳優は、誰が適役なのか、と考えてみれば、やっぱりむずかしいでしょうね。

いませんよね。おれのほかに。(おれだって出来るぜ、と申し出る俳優がいらっしゃったら、喜んでお受けいたします、この勝負を)。

人間の心の闇を直視して‥ 「きも~いッ!」と眉をひそめながら何故かついつい最後まで見たくなっちゃう‥ 観客を丸ごと、なんていえばいいか、まるで主人公の鳥スパイみたいに胴体も足も縛られて、恐怖心にとらわれながら見上げている気持ちにさせるような‥
そりゃ困難さったらありゃしないでしょうね、この演技は。

まあ、大成功でしたよ。全部お見せ出来ないのは大いに残念ですけど(この鳥スパイのサスペンスドラマのDVD化計画に冷淡だった会社のほうが絶対に悪い)、ほかにもまだおれの演技シーンがあるよ。

でもさぁ、なんせ主人公の鳥スパイは冬鳥だから、制作当時はなんと、真夏の8月でした、おれ、セーターをかぶっていかにも冬らしく演じて、ほんとうに暑かったのでした。
見えないように、背中のすぐ後ろで扇風機を回してあったんですよ。
(ほら、窓が開けてあるでしょ。――ちぐはぐさが、ノイズとともに不思議な効果を出したですよね)。

あのときの熱演、暑さ、などは、ほんとにいい思い出になったのでした。

サービスに写真を添えとくねっ。

画像


どっちがぼくの本性でしゅか? ‥‥‥えっ? どっちも?

分かんないよ~ん。‥‥‥なんちゃ~って。

幸いにも明日は休日なんで、過去のビデオ作品のうち、ベケット「幸せな日々」の英語朗読、菊田まりこ「いつでも会える」の朗読を、演技をまじえて撮った動画を、お見せしましょう、か。

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